作:菜の花すみれ・前田きん
まるで図書館のような大きな部屋、豪華な調度品。中心のテーブルに大量に詰まれた本。
大量の本の柱の中で、紫色の魔導帽子が動いている。

幼い魔法使いの少女。レン・ラルファ・アーシャ。
本日のクロスワールドは彼女の日常をホンの少しのぞいてみよう。
私はレン。
レン・ラルファ・アーシャ。
エルニスで代々続く貴族、ラルファ家の一人娘。
私は一日のほとんどを、魔法の勉強をして過ごしている。
貴族たるもの、領民を指導するに足る能力を欲される。
自分の生まれや立場などを気にかけたことはないが、物心ついたときからそばにはなんらかの教師がいたような気がする……。

その中で、私が最も気に入ったのが「魔導学科」だった。

優れた魔法使いになるためには、様々な事象を学ばなければならない。
エーテルに関する知識、魔導印の修得、具象化の原理など、憶えることは山ほどある。
それを大変だろうと言う人もいるけれど、私はそうは思わない。

……勉強は楽しい。

私がいままで知らなかったこと、知りたいことを教えてくれるし、新しいことができるようになる発見と喜びが学問には存在する。
本を開くと、そこにはいつもなにか新しい世界がある。

一番幸せな時間……。

時間を忘れられるのもいい。
問題は、自然と一人でいる時間が長くなってしまうので、メイドたちによく心配されることかもしれない……。

私は人が苦手。 話すのも苦手。
苦手と思っているうちに、言葉がうまく出なくなってしまった。
知り合いの女医先生の話だと精神的な影響であるらしいけど、私はとくに気にしていない。

でも言葉遊びは楽しい。ことわざや四文字で造形された熟語には美しさを憶える。
そうしているうちに好きな四字熟語ならば声に出せるようにもなってきた……。

時々話す四字熟語……。
それを「おかしい」と言う人は確かにいる……。けれど……。
それが私の「普通」……。

だいいち、話し相手がいるわけでもなく、困るということもあまりない。
ラルファ家のメイドや時々会う人々はそんな私を知っているし、お父様やお母様も……。

ま、他にもラルファ家の格式や、私の強い魔力が怖いとか、いろいろな理由があってみんな私に近付きにくいようだ。

でも、時々気がつくことがある。
それは一人でいるとき、まわりがとてもとても静かになっていること。
もしかしたら、これが……。「寂しい」って事なのかもしれない。
寂しいのはあまり、楽しくない……。

「レンはいるかな?」
いつものように私が勉強していると、オニキスがやってきた。
オニキスは私のことをずっと気にかけてくれるフェアリー。
いつも一緒にいてくれるお陰で、オニキスは私が話さなくても言いたいことをわかってくれる。
私の一番の友人……オニキス。
「また本を読んでいるのかい?」
そう言うオニキスに、私は読んでいる本を指さした。
これは私が「この本を読み終わるまで待って」の合図。

オニキスは私のことを外に連れ出すのにとても熱心だ。
いつもは冷静なオニキスだけど根本的には好奇心旺盛なフェアリーの一員。
今日も神秘的なものを見つけて、私に見せてくれようとしているのだろう。

そんなオニキスといる暖かい時間が、オニキスと見る外の景色が私はとても好き。

だからすぐにでも一緒に行きたいところだけど……。
「……読んでいる本が途中だから待って欲しい? いや、確かに私の用事なら待っていてもよいのだが」
オニキスが私のところに急ぎの用事だとすると……。
私は読書の手を止め、両手の人差し指を十字にクロスさせ、オニキスに見せる。
「ああ、クロスゲートが開きそうだというのでね。呼びに来たんだ」
なるほど。それならすぐに出かけないといけない。

クロスゲートの監視は、ラルファ家が受け持っている大事な仕事の一つ。
本来は街の警護団や神官の管轄かと思うが、代々高い能力者を輩出するラルファ家もこの活動を支援している。
こういった地道な活動が、ラルファ家を名門と呼ばせている所以らしい……。

万が一、危険な存在がクロスゲートから出てきた時、私とオニキスは力を合わせて魔法を使い、これに対処する。
今はまだ任されるのは小型のクロスゲートばかりなので、本当に危険な事態に陥ったことはない。
たぶん今日もいつもと同じ、無害な物体が落ちてきたり、なにも出てこないまま自然消滅してしまうのだろう。

けれど、いつも少しだけ緊張する。
今度は何がでてくるんだろう……と。

「それは行ってみないとわからないな。さあ、今日もクロスゲートの神秘に触れようじゃないか」
オニキスはいつも明るく私を導いてくれる。
確かにオニキスがいれば私も強くなれることは事実だ。

「不安そうな顔をしているね、レン?」
当然のようにオニキスは私の不安や緊張を見抜いてやさしい言葉をかけてくれる。

私は、自分の魔力が強大なことを知っている。勉強したことを実際に使ってみるのも嫌いではない。
でも、もし魔法を使わない方法でクロスゲートに対処しなければならない場合、私とオニキスはあまりにも非力だ……。

「レンの魔法が効かない相手なんて、そうはいないと思うが」
私はさっきまで自分が読んでいた本をオニキスに見せる。
「なになに、スフィンクス?」
体が獅子、翼があり女性の顔を持つ魔獣。美しい幻獣とも言える。
最大の特徴は……。
「なぞなぞを出して答えられないものを食べてしまう?」
私は大きくうなずいた。
そう。もし、クロスゲートからこの一切魔法が効かない魔獣スフィンクスがあらわれ、「なぞなぞ」を出してきたらどう対処すべきだろう。
私なりに解りやすく図解でオニキスに説明をしてみる。

「プッ」
オニキスが笑いをこらえられなくなり、思わず吹きだした。
ちょっとだけ、不機嫌になる私。
「いや、ゴメンゴメン。にしても、そんな伝説の書物の内容で不安になっていたのかい?」
ちょっと小バカにされたみたいだが私は本気で心配なのだ。
「レンぐらい知識があれば、なぞなぞの神秘はなんとかなるんじゃないのか?」

……私は、話すのが苦手だから。

言葉にはいつも困る。私のノドを通り、話せる言葉でなにかを伝えようとするのは意外と難しい。
オニキスとのやりとりですら、彼女に寄りかかりっきりなのだから……。

「そのために私がいるんじゃないかな」
オニキスがいる?
「そう、私たちはパートナーなのだから、なぞなぞでもなんでも、レンの困ることは私がいくらだって答えよう」
私の替わりに?
「もちろん」
「まぁ、万が一そのスフィンクスとやらがあらわれた時、答えは一緒に考えてもらうよ」
「私も食べられるのは嫌だからね」
オニキスがにっこりと微笑む。
この小さい体にどうしてこんなに強い意志が詰まっているのだろう。と本当に感心する。
こういうとき、オニキスに感謝してるってちゃんと言葉にできたらいいのに。
「あ……あり……」
「お、レン。なにか言葉を言えそうかい?」
「……恐悦至極(きょうえつしごく)」
ダメ……。さっき憶えた四字熟語で思わず答えてしまった。
でも、そんな私をオニキスがまたやさしい微笑みで包み込む。
「厚意に感謝するという意味だな。ちょっと畏まった言い方だが、レンの気持ちはよく伝わるよ」
……もっとぴったりする言葉が、言えたらいいのに。

もしこれでしゃべる魔獣があらわれても、オニキスがいれば心配ない。
私はそんな気持ちになっていた。
むしろ本当にしゃべる魔獣が出てきてくれないかと、淡く期待していたかもしれない。
……それがあとで思わぬことを呼んでしまうのだけれど。
私はそれまでの不安とはうってかわって、だいぶリラックスして周りを見られるようになっていた。
花の香りや、小鳥の声に自然と笑みを浮かべてしまう。
クロスゲートの監視でなければ、ピクニックでもしたい気分。
つとめを忘れてしまいそうな、いい陽気だった。
「さて、そろそろクロスゲートが見えてくるはずなのだが」

見つかったクロスゲートはとても小さなものだった。
「……この大きさなら、危険なものがでてくることはないと思うが」
しゃべりそうな人は、出てくるだろうか?
人形が口がパクパクさせるように、私は指先でつまむように動かした。
「まあ、私たちフェアリーサイズのクロスゲートではあるけれど、どうかな?」
その時、私の耳に、低い羽ばたき音が聞こえてきた。


ぶーーーーん

翼のある何かがクロスゲートを通ってくる。
近づいてくる音に、私は集中して待っていた。

ぶーーーーーんぶーーーーーん

でもこの音からは、とても怖い感じがする。
これはもしかしたら……。

そのころにはもう確信していた。
この相手と話し合うことはできない!

そして、クロスゲートから黒い小さなものがぽろぽろと現れ始める。
あの姿、そして羽音、それがかたまりになっていると言えば……。
「蜂……だな」
相手が蜂じゃ、最初から言葉なんて通じない。
クロスゲートから出てきたのは、話すことのできない相手だった。

……いつもの私なら、魔法で普通に何とかできたのだけど。
話す事をずっと考えていたせいで、意表をつかれてしまった。
蜂を効率よく相手にする魔法は……?
注意力が散漫になっている中で私は、普段なら絶対にしないミスをしてしまう。
魔道書を開こうとした手が、ふいに滑る。
「…………!!」
とっさに伸ばした手も届かない。
魔道書の重みが手の中からするりと消えて、それは地面の上に投げ出されてしまった。

ぶーーーーん

迷っている間にも蜂がこっちに向かってくる。
これはもう……刺されてしまうかも知れない。
私は蜂からの攻撃を覚悟した。

その時、私の横でオニキスが叫んだ。
「雷よ!」
私の目の前で雷が光って、真っ白になる。
そしてドーンという大きな音。それはオニキスが放った雷だった。
音と光が私をくらくらさせる。
「大丈夫か、レン?」
私は目をちかちかさせながら、どうにかオニキスに頷く。
目から雷の残像が消える頃には、蜂たちはずっと遠くに飛び去っていた。

蜂のいなくなってからも、私はしばらくドキドキしていた。
本当に危ないところだった。一人だったら、蜂に刺されていただろう。
「蜂に慌てるとは珍しいな?」
魔法使いは冷静沈着を常としなければならない……。
それなのに……。
なにもできなかったことで、恥ずかしくなって少しうつむく。
「まあ、たまにはいいじゃないか。お陰で私も活躍できた」
……オニキスは本当に私の一番の友達。
いつも私を気にかけてくれて、私を守ってくれて。
「そんなにじっと見つめられると照れるな。これぐらい当たり前じゃないか」
その当たり前が、嬉しい。
当たり前にしてくれることが、とても嬉しい。
私のことを本当に大事にしてくれるから……。
私はオニキスに助けてくれたお礼を言葉にしようとして、でもなんだかまた詰まってしまった。
言葉はやっぱり難しい。
それでもこの気持ちを……オニキスが大事だっていう気持ちを……。
「……千鈞之重(せんきんのおもみ)」
――私にとって、とても重い。くらべるもののないぐらい大事で重い存在であること。
何にも変えられない意味があること。
なによりも大切で、そばにいて嬉しいということ。
オニキスがいることで、一人ではないということを。
全部全部、私はこのたった四文字の中に込める。
もっと言葉を重ねたい。でも、いまはこれが精一杯。
そんなもどかしげな私を見て、オニキスは優しくうなずく。
「私の中でもレンの存在は大きくて重い」
そして、さらに一言、オニキスは加える。
「言葉に尽くせないほどに……な」
……オニキスは本当に私ことをわかってくれる。

ありがとう、と。
いつかはっきり、言えるようになりたい。
いつか最高の感謝の言葉を、オニキスに。

           ★おしまい★


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©BROCCOLI Illust/桜沢いづみ